「死」によって阻まれる予定を覚悟
今日は浄土真宗の佛教講座2回目であった。人(生きとし生けるものは)は100%の確率でみな死に至るという話を聞きました。その通りですよね。親鸞聖人は4歳で父を亡くし8歳で母を亡くされたそうで次は自分が死ぬ番だと思い、出家されたそうです。出家されるとき、明日剃髪しようとの話に
「明日ありと思う心の仇桜 夜半に嵐の吹かぬものかは」
(人の心はいつ変わるとも知れず、せっかくの決意も一夜で霧消してしまうかもしれません。また、出家せずになくなってしまうかもしれません。どうぞ情けはお捨てになって、髪を剃ってください)
と詩を書き、即日剃髪したということです。
ネットを検索していたら、
「明日死ぬと思って生きなさい。永遠に生きると思って学びなさい」
という、ガンジーの言葉がヒットしました。
先の予定を組みながら、「死」によって達成できないかもしれないという覚悟は心の隅に置く必要があるといつも思っています。