こてつばあちゃんの奮闘記

勇気と楽しい日々をお届けします

お見舞いに来てもらいたい派

 小中学時代のクラスメートの訃報が届きました。長い間病いで床に伏しておられたと聞きました。クレスメートと連絡しあい、みな寂しくなったねといいながら、自分たちも明日が分からない身だよねと語り合いました。

 

 子どもの頃は比較的不安がり屋さんだった友人は、今日話していたらとても前向きで今が幸せだと話してくれて嬉しく思いました。変化した理由を尋ねると病気で何度も入院したお陰だと答えてくれました。もう10年前に終えていた命を今こうして生きていられることで、全てが感謝に思えるとのことです。病気したことでいろいろな学びがあり、ゆっくり考えたり読書したりする時間がありとてもありがたかったと。病気をしていなければ今のような幸せを感じることができなかったろうと。

 ああ、とても素敵な人だなあとしみじみうれしくなりました。お互いに友として一緒に生きていられてうれしいねと喜び合ったことでした。

 

 意見が分かれたのはお見舞いの話でした。何度も入院経験のある友人は、家族にもお見舞いには来てもらわなくていいと言います。入院経験のない私は、寿命が決められた入院をしたら、いろんな人に連絡して最後のお別れとお礼を伝えたいので「入院しているよー」と連絡したいと思っています。

 お別れはみんなに笑ってもらいたいと一致しました。十分幸せに生きたので「あの人はとても幸せに生きたから私たちは笑って見送ろう」と思ってもらいたいと。

 

 このお見舞いの話をいつか友人たちに話したことがありました。友人たちは声をそろえて「あなたが入院しても誰もお見舞いに行かないわよ。だって、あなたが最後まで生き残ってるでしょうからね」と笑われたことを思いだしました。