こてつばあちゃんの奮闘記

勇気と楽しい日々をお届けします

批判アンテナが立っている?

 批判アンテナが立っている自分を感じています。

 

 昨日はズームで心理学の講義でした。最初に対応してくださった方が講師であると知らなかった時から、その講師の対応の仕方が氣になっていました。

 昨日初めてその講師の講義を聴きました。やはり氣になるのです。

 一番最初は、私が困っていることに対して、私に寄り添うのではなく自分の非を認めたくない感じの対応をしてきたのを感じたのでした。

 講義を初めて聞いた昨日は、相手を丸ごとまずは受け入れて……と話をしてくださっている講師が、まず、生徒の解答を「それも一つの考え方ですね」と受けてほしいなあと思うところを、「それもあるけど正解ではない」といった言葉を使っておられました。もちろん、学びなので「正解」は必要だけれど、相手に「共感する」ことを学んでいるのであるから、その「共感」を体現してくだされば、生徒も腹落ちするだろうに……と思いながら聴いていました。
 生徒のみなさんからは、いかに「正解」に近づこうかとしておられるのかが見て取れました。講師は「正解にばかり気を取られていると相手のことが見えなくなるのでそれはしないでください」と指導してくださりながら、私たちに正解を求めておられるように感じられてならないのです。

 技法に走るあまり、相手の思いに寄り添うことそのものが大切だという部分が抜けている氣がしてなりません。もちろん、その思いは大切ですよと話してくださっているのだけれど、相手の思いに寄り添うことさえも技法にすり替えてしまっているように思われるのです。技法ありきではなく、こちらが相手に寄り添うという「思い」がありきなのですよ~と言いたくなってしまうような講義でした。